• qze13173

若い頃の体験です

歌姫のこと

 その女の子とおかあさんは、バス停で迷っていました。僕は女の子の方に声を
かけました。
 「失礼ですが、どちらへいかれるんですか?」
 女の子は一瞬ひるみました。今思えば英語が苦手だったのです。僕はさらに聞
きました。
 「○○の学生じゃないですか?」
 彼女はニコリとしました。僕は昨日も二人をバスの中で見ていたので、よく
知っていたのです。3人は一緒にバスに乗りました。
 これがその親子との最初の出会いでした。僕はその女の子はブルックシールズ
にとてもよく似ていると思い、ブルックシールズよりもきれいだと思いました。
二十歳前後に見える彼女は、とても素敵なお嬢さんでした。そして彼女のお母さ
んも又ほっそりとして、いつも優しい笑顔を絶やさない素敵な女性でした。 
 僕は、その日から毎朝途中から乗ってくる、二人といっしょに、バスで通学し
ました。そのバスは大西洋に沿って走ります。外の景色を見ているだけでも美し
いのに、バスの中にも2輪の美しい花が咲いていました。(僕は毎朝緊張してい
た) 
 若い女の子の名前を仮にケリーとしておきましょう。そして彼女のお母さんを
ドナとしておきましょう。
 僕はある日ケリーに折り紙で折った鶴をバスの中で渡しました。ケリーはとて
も喜びました。後で聞いたところ、その日一日、会う人ごとにそれを見せていた
そうです。そんな、ケリーの純粋すぎる性格を、彼女よりうんと年上の僕は微笑
ましく感じていました。
 ある朝ケリーから、ディスコに誘われました。僕としても断る理由などありま
せん。彼女は海辺近くのアパートに、お母さんと滞在していました。そこには、
他にヨーロッパや日本人の学生もおり、そのプールサイドは僕たちの憩いの場と
なっていました。僕はそのケリーの住むアパートに、その日初めて行きました。
時間がまだあったので、僕とケリーとドナは近くの海辺に泳ぎに行くことになり
ました。
 7時を過ぎてもまだ明るいアメリカの空の下は、泳ぐのに恰好の時間帯でした。
昼間は太陽の光が強すぎるのです。
 驚いたことに、ケリーもドナも泳ぎがとても上手で、どんどんと、沖へ沖へと
泳いでいきます。僕とケリーが二人で沖の方で泳いでいたときでした。彼女は急
に歌を歌い出したのです。彼女とても楽しそうです。僕は少し驚きました。彼女
は言いました。
 「この海は私のものよ」 
 まさに、その日、大西洋は彼女のものでした。
 「私大西洋が大好きなの」
 しばらくすると、西の空が赤く染まり始めました。毎朝ホームステイ先のベラ
ンダから大西洋に上る、朝日を見ていた僕でしたが、この日はその大西洋の沖か
ら夕焼けを見ました。
 僕はその日より、彼女のことを密かに、「歌姫」と呼ぶようになりました。こ
の歌姫、箱入り娘のお嬢さんに違いないと思っていました。だからお母さんも一
緒について来ているんだな、そう思いました。
 ディスコには、アメリカに住む彼女の又従兄弟の運転で向かいました。他の連
中も後で、別の車でやってきて合流しました。僕の乗った車がディスコの前に止
まり、さぁ、降りようかとしたときでした。彼女は僕に言いました。
 「あなたは神を信じますか?」
 僕はこの言葉にうろたえました。今からディスコに行こうとするときにする質
問とはとても思えなかったからです。僕は適当に答えましたが、本当に驚きまし
た。3人が、ディスコの入り口の前に立ったとき、彼女今度はこう言いました。
 「マドンナが好きですか?私は大好きです」
 僕は
 「まぁまぁです」
  と答えましたが、この二つの質問は僕を少なからず混乱させていました。しかし
もっと僕を混乱させたのは、会場に入り踊り始めたときからでした。
 なんと、箱入り娘のお嬢さんとばかり思っていた彼女のダンスは、昔流行った
ジュリアナで踊る女の子顔負けのすごいものでした。僕は昔サルサを少し習ったこ
とがあるので、彼女の踊りのプロ級の腕にすぐに気づきました。
 (いったいどうなってるんや)
 腰を振って踊りまくっているとってもセクシーな彼女と、箱入り娘の彼女がどう
しても結びつかなかったのです。

 僕とケリーそしてドナは、他の日本人やヨーロッパ人も含めて、気のあった仲間
になっていました。毎晩僕は彼女の住むアパートに行き、ケリー、ドナ、そして日
本人の男の子や女の子とプールで楽しみました。ときに、イタリア人が顔を見せた
りと、インターナショナルなアパートのプールサイドでした。僕は時々気前良くビ
ールを振る舞ったりもしました。

 しかし、楽しく過ごした日々も、気がつくと後残りわずかになっていました。
 ある日僕は、ケリーにお礼を込めて、あるプレゼントをすることにしました。
 僕は、アメリカでギターを買って暇なときに弾いていたのですが、そのギターを
使って以前作った自作の歌を録音し彼女に贈ろうと決めたのです。
 その夜、僕はいつものように、自転車に乗り、彼女の住むアパートに向かいまし
た。大西洋をすぐ左に望みながら南北に伸びる道を走るのです。海の向こうには幾
隻かの船が停泊しているのですが、夜の海にはその船の光がイルミネーションとなっ
て幻想的に輝いていました。
 僕はプールサイドのテーブルのケリーとドナの間に座り、そのテープを渡しまし
た。ケリーもドナも目を丸くしてとても喜んでくれました。そして、ケリーが言い
ました。
 「ちょっと待ってて」
 彼女は、駆け足で部屋へと戻っていきました。ドナが言いました。
 「あの子はきっと、あなたに何かを持ってくると思いますよ」
 ケリーが戻ってきました。そしてそっと小さな何かを差し出しました。それは、
カセットテープでした。しかもよくみると、そのカセットテープには彼女の写真が
入れられているではありませんか。その写真はどうみても、ジャケットの写真と呼
ぶべきものでした。僕は驚いた顔でその写真と彼女の顔を何度も見比べました。ケ
リーはニコニコしています。
 「これ、あなたですよね」
 僕は言いました。
 「私は歌手です」
 彼女が言いました。そうです、彼女は本当に歌姫だったのです。それも、彼女の
国では知らない人がいないという、日本で言えば、安室なみえのような歌手だった
のです。
 僕は驚きました。おそらく、彼女の国の彼女のファンは僕たちのことを知ると、
うらやましくてたまらなくなることでしょう。なにせ僕たちはいつもビキニの彼女
と一緒だったのですから。 
  それから三日ほどして、彼女は僕たちの前から去っていきました。彼女は、何度
も何度もプールサイドにお別れを告げました。何度も何度も一度乗りかけた車から
再びプールに戻って来ました。
 そして最後に車に乗ろうとしたとき、彼女は僕を見て、もう一度戻ってきてくれ
ました。僕の方に走ってきたかと思うと、ハッグをくれ両の頬にキスまでしてくれ
ました。
   それからもうしばらくして彼女は遂に車に乗り去っていきました。僕は彼女がい
つまでも、いつまでも車の中から手を振っているのに気付いていました。

 この4週間、彼女は一人の女性としていや、女の子として、又英語学校に通う一
人の学生として、過ごしたのです。国へ帰れば彼女には忙しい生活が待っています。
プライベートもあまりないでしょう。この4週間が彼女にとってどれほどの素晴ら
しい日々であったことか、僕にはよくわかる思いがしました。
(彼女の夏が終わった)
 僕はそんなふうに思いました。そして明くる日、僕も、この、大西洋を望む美し
い町を後にしたのでした。



今この部屋で、彼女が歌っています。
とても不思議な気がします。
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